読書つれづれ3 大小書店の好き好き
私の理想の書店とは、店員との信頼関係があって、たとえば「松村さん、今度こういう本が入りましたよ」といって、私の好きな分野の本を見つけて薦めてくれたり、店内にいるときに、「ご注文の本が入りましたよ」と言ってくれたりするところである。
私の場合近所の書店は顔パスで、注文の際にこちらの名前や住所を聞いてくることはない。当然もう知っているからである。大書店ではこういうことは絶対にない。仮に私が百万円分注文しても、次の注文の際には絶対に名前と電話番号を聞いてくるであろう。サービスとしてどちらが正しいかということはわからないが、私としては顔パスの方がはるかにうれしい。
また、大書店では経営者が直接店頭に立つということはない。社員が「ありがとうございました」といっても腹の中ではそんなことは思っていないに違いない。どうせ会社の収入である。しかし、経営者が店員である小書店においては、「ありがとうございました」という言葉は、とても実感がある。自分の払ったお金が直接経営者の収入になるのである。
反面、小書店には商品が少ない。最新のベストセラーさえないこともある。取次が小書店にはまわさないからだ。ところが、大書店には時として信じられないくらいマイナーな本さえ置いてある。大書店は小書店に比べてこういう点だけ信じられないほどいい書店なのである。
要するに、信じられないほどのたくさんの本がある、人情味あふれた本屋さんが大好きな私なのだが、そんな書店はどこにもない。だから、大書店も、小書店も、一長一短あるものとして承知の上で両方を利用するのである。大書店で本を見て、小書店で注文するというふうに、小書店をひいき気味ではあるが。
初出「探書手帳7」(1996/10)読書つれづれ3
今から11年前に書いたものである。人によるとは思うが、今の私には隔世の感がある。
この時の「近所の書店」は残念ながらこの数年後に店を畳んでしまった。
それ以来、私には馴染みといえる書店がなくなってしまった。
都心の物件の賃貸料が下がったため、東京では巨大な書店が増えた。
1999年にはKinokuniya BookWebになった。この頃は、まだ入会金を取っていた。
2000年秋にAmazon.co.jpがオープン、翌年1月に会員になった。
以来、現実の書店で買うことはほとんどなくなり、Amazonでの購入ばかりである。
この11年前の文章で示した理想の書店の条件は、Amazonはある程度満たしているといえる。
まず、メジャー・マイナーに限らず、品揃えが豊富だ。そして、不完全ながらお勧めの本を提示してくる。
人間味はまったくないが。
本の内容を覗けるようにしたりと、次々に投入してくるAmazonの新しい機能を見ていると、ある程度僕の理想と同じような方向性を持っているような気がしてならない。
もちろん、人間味はまったくないが。
本日のお買い物
ジョン・ガードナー『犯罪王モリアーティの生還 上/下』