パクス・アメリカーナの終焉
3日のTBSのローマの番組を見ていたら、「パクス・ロマーナ」という言葉が出てきた。
単純に言えば、これは「ローマを中心とした平和主義」とでも言うのだろう。
現在のわれわれは、パクス・アメリカーナの世界に生きている。
アメリカを中心とした平和の世界である。
実際に平和かどうかは別として、「グローバル・スタンダード」というアメリカの価値観を共有することによって、一つの世界を築いていることは間違いない。
特に日本は、アメリカと直接的な同盟国であり、イギリスや西欧諸国とともに、パクス・アメリカーナの重要な一翼を担っている国である。
そして、その繁栄を享受してきた。
だが残念なことに、古代ローマ帝国が終焉したように、アメリカを中心とした世界の繁栄も、いつかは終わってしまうのである。
パクス・アメリカーナが終焉することは、日本という国にとっては死を意味するということを、われわれは認識すべきだ。
ポスト・パクス・アメリカーナが何なのかはわからない。
パクス・イスラミカかも知れないし、パクス・シニカ(中国)、あるいは、パクス・アフリカーナ、パクス・インディアかもしれない。
アメリカの繁栄の終焉は、ベトナム戦争の敗北のころからずっと言われてきた。
アフガニスタンとイラクでの泥沼は、その論の延長上にある。
ただ、泥沼の戦争になってしまい、後に手を引かざるを得なくなった状況というのは、アメリカから発生した価値観がアメリカ自身を縛ってしまった結果といえなくもない。
つまり、人命の尊重だ。
パクス・アメリカーナの本質は、軍事力よりも、むしろ経済力とその生活スタイルにあるのではないだろうか。
つまり、「大量消費社会」というのが、その本質なのではないかと。
その枠組みの中で言えば、昨今の中東の台頭も、石油を武器にしてパクス・アメリカーナの世界の中で、発言力を増しただけに過ぎない。
「大量消費社会」を支えているのが資源、特に化石燃料だとすれば、それも当然である。
「大量消費社会」というのを、一国のレベルで見ると、その国内で生産される資源以上のものを、消費することで成り立っているのがわかる。
アメリカとて、完全な自給自足ではない。
これを支えるには、常にどこからか資源を持ってこなくてはならない。
生産国と消費国だ。
今までは、生産国である中東や中国から持ってくればよかった。
だが、わかりきった話だが、中東やアフリカは、いまや消費国になりつつある。
突き詰めていくと、地球上にあるほとんどの国が、消費国になりつつあるのである。
もちろんこんなことが成り立つわけもなく、いつかは必ず崩壊する。
そこに、パクス・アメリカーナの終焉があるのである。
その終焉の向こうには何があるのだろうか。
日本の政治家は、まだ誰もその先のビジョンを示していない。
ビジョンのない国に、次の世界で重要な役割を担えるはずもない。
このままでは、日本はただ衰退していくしかないだろう。