子どもは携帯で何をしているのか?
仕事のうちの何割かは、メールの処理だ。
ひどいときだと、それで午前中が終わる。
スパムにうずもれて肝心なメールを見落とすときもある。
なんだか、仕事がメールに支配されているようで嫌だ。
「先ほどメールをお送りした件ですが」なんて電話が来るが、10分前のメールだ。
あんたと違ってこっちは数分おきにメールチェックしている暇なんてないんだよと言いたい。
それでも、PCのメールなら時間的ゆとりがあるからまだましだ。
携帯メールは、即時性が重要視される。
なんだかすぐに返信しなければならない強迫観念というものがあるようだ。
僕なんかは「了解しました」だけ返して、チャットまがいの応酬はしないけど、周りを見ていると永遠に続くかもしれないやり取りをしている人は結構いる。
特に中高生に多いように感じる。
携帯メールはその特性上、時間や空間という、一種のケジメがない。
昔なら、学校は学校、塾は塾、家庭は家庭の時間と空間があり、学校のことを家庭に持ち込むことはなく、ワタクシゴトを仕事に持ち込むことはなかった。
だが今は、家族団欒の時間であろうが、仕事中であろうが、メールは容赦なくやってくる。そしてその内容は、その時間や空間とはまったく関係がない。
昔なら学校でいじめられている子にとって、家庭は逃げ場であり安全な場であったが、今は携帯メールという便利なツールのおかげで、家庭は逃げ場でも安全な場所でもなくなってしまった。
昔なら友達とけんかをしても、家に帰って一晩たって、また学校に行けば、まるで何事もなかったかのようになった。
だが、今はそういった冷却期間は存在できない。携帯メールで、けんかはずっと継続する。
携帯という便利な連絡手段を手に入れてしまったことで、たとえ嫌な相手でも、ずっとつながり続けることになってしまった。
われわれ大人は不便なコミュニケーション手段で育ってきたから、ある意味でコミュニケーションいついてのルールというか、掟というものを体得してからメールという手段を手に入れたが、今の子供はネイティブである。
コミュニケーションについてのリテラシーが身についていないまま、よりパーソナルなコミュニケーション手段を手に入れたしまった。
パーソナルなゆえに、親ですら関知しにくいのである。
もっとも、これをもって「メールは怖い」などというつもりはない。
携帯は便利だし、子供の安全確保にも有効な手段だ。
それに、これがスタンダードなコミュニケーションツールになってしまったから、逆に持たせないわけにもいかなくなった。
だからこそ、親は子供が何をしているのか、きちんと把握しなければならない。
「最新の携帯のサービスは難しい」なんていって逃げずに、自分の子供がどういうものに触れているのか、きちんと知る努力をすべきなのだ。
そうでないと、ある日突然自殺、なんてことにもなりかねない。