紅茶の時間

僕には昔から「紅茶を飲む」=「優雅」というイメージがある。
それは今でもかわらない。
きちんと茶葉から入れて飲むと、無學童子式に端折ったにせよ、なんだか落ち着くものである。
ステレオタイプな感じだが、英国式庭園に椅子とテーブルを置いて、紅茶とスコーンを頂くのが、老後の夢である。
ま、そんな優雅な家に住めるとも思えないけど。
今こうしてブログを書いているPCのすぐそばには、電気ケトルとカップと茶葉が置いてあって、いつでも紅茶を入れられるようになっている。
このブログを書いているときは、たいてい傍らに紅茶とクッキーがある。
休日は、ひどいときになると一日中飲み続けている。
お茶とはいえ、さすがに飲みすぎはまずいのではないかと思うのだが、どうしてもやめられない。
お茶を飲むという行為には、飲むことそのものよりも、時間的、精神的なゆとりを生み出す力があるのではないかと思う。
どんなに忙しいときでも、とりあえずお茶の時間を持つことによって、精神的な安定が保たれているような気がする。
お茶がおいしいとかまずいとか言う以前に、こういう時間を持つことがすきなのだ。

無學童子
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