立場

立場の変化によって考え方がぶれない人間にあこがれる。
ある種の主義・主張を強く押し進めていこうとする人々、特に政治家なんかでは、ぶれないことが要求される。

僕は自信がないなぁ。

たとえば、僕は原発推進派なんだが、自分の家の隣にそれが出来るとして、それでも推進派ででいられるだろうか。
火葬場やゴミ焼却施設は誰にとっても必要だが、自分の家の隣に出来ても良いだろうか。
犯罪は厳罰化して摘発を強化すべきだとは思うが、刑務所が自分の家の隣に出来ても良いだろうか。

毎月一日に、新宿駅西口で国労とその支援者・支援団体の演説がある。
解雇された国労のメンバーについて、労基署や裁判所から勧告なり判決なりで解決策が示されてきたにも関わらず、20年以上たった今でもこの問題が解決していない。
演説を聴くたびに、非常に気の毒なことだと同情する。

だからと言って、国労に味方する気にもなれない。
創立期からの国鉄にとって、国労は癌であったと思う。

尼崎の事故があった際、新宿駅西口で聞いたのは「民営化の弊害」という言葉であった。
確かに、この事故についてはそういう側面もあったかも知れない。
でも、民営化前と後の事故発生件数比較では、JR発足後の件数の方が少ないし、JRグループよりも私鉄の方が事故件数は少ないから、この言葉を素直に受け取る事は出来ない。

少なくとも今の僕は労働運動に否定的で、考え方はどちらかと言えば資本家寄りである。
このままどこかの会社の経営に携わるようになれば、おそらく労働運動は徹底的に排除し、形だけの労働組合を作らせるに違いない。

でも会社で理不尽な目にあったらどうするか?
もしかすると、代々木系の労組に駆け込むかも知れない。

自分の主義主張を変えることなく、たとえ一人でも戦えることが理想だが、今の僕にそれをやる力は、多分ない。
おそらく日和って主義主張を変えてしまうだろう。

無學童子
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