懐疑的
昔が懐かしい。
どのくらい昔かというと、新聞やテレビのニュースの内容を、そのまま素直に信じられた頃。
残念ながら、今は素直に信じられない。
どんなに客観的な装いをしていても描くのが人間である以上、必ず主観は入る。
しかもテレビのニュースや新聞の場合、限られた時間やスペースに、あえてそのニュースを選択する、ということがすでに主観的である。
この主観というのは結構くせ者で、わかりやすく言えば産経と朝日であったり、NEWS23と報道ステーションであったりする。
報道機関でなくとも、たとえば企業や政府、有名人の唱えることもだ。
唱える人や組織には立場があって、その立場からものを述べている。
世の中、情報は数多あるが、必ずバイアスがかかっている。
だからシー・シェパードも水産庁も、「相手が悪い」というのだ。
世の中、何が正しくて何が間違っているか、容易にはわからない。
だから、ある情報に接したとき、僕は基本的に否定的視線からものを見ることにしているのだ。
今個人的に最もやり玉に挙げているのが環境問題だったりするわけだ。
「自分は正しい」と「信じている」人なんか、僕は危険人物だと思うよ。