自炊代行2社に作家らが提訴
非常に気色が悪いニュースだ。
最も疑問なのがここの下りだ。
作家側はユーザー個人が電子化する行為は私的複製として「認められる余地がある」が、業者が大規模に客を募って行う場合は「私的複製に該当しないことは明らか」(弁護団)と主張している。
個人が自炊しようと、代行業者が手助けしようと、本件の原告に不利益は存在しない。
代行業者がもうけると言うことがダメだとでも言うのだろうか。
コンビニなどに本を持ち込んで複写した場合、そのコンビニは今回の代行業者のように訴えられるのだろうか。
もし訴えることが出来ないならば、その本質的な違いはどこにあるのか。
そして最も気色が悪いのはこの下りだ。
会見場に置かれた裁断済み書籍について、林さんは裁断された書籍について「本という物の尊厳がこんなに傷つけられることはとんでもないことだ」、武論尊さんは「作家から見ると裁断本を見るのは本当につらい。もっと本を愛してください」と話した。
会見場に置かれた裁断済み書籍は、そもそも何かの犯罪の証拠なのか。そうでなければ単に世論のミスリードを誘うパフォーマンスでしかない。
本というものの尊厳と言うが、わざわざ裁断して電子書籍にまでして読みたいという、本を愛する読者の熱意を感じ取れない作家というのは、所詮三流だ。そんな作家の作品に尊厳などあるはずもない。
第一、売れずに返品された本は誰に読まれることもなく裁断されてとかされていくが、電子書籍は読まれるために裁断されている。
本としてどちらが悲しい末路なのか、誰が見ても明らかではないか。
記事でも指摘しているが、この件は多くのことを混同しすぎている。
自炊代行の著作権問題とデータの違法流通は全く別個の問題である。
裁断された本がオークションに出ていたり、データが流通していたりするのは代行業者ではなく、代行業者に依頼していないユーザーかもしれないし代行業者に依頼したユーザーかもしれない。
そういったことを差し置いて、一方的に代行業者が悪いとする意見は甚だ身勝手だと思う。
愛書家としてこれだけは言わせていただきたい。
「裁断するなんて出来ないような、魅力的な本を出して欲しい」
愛書家としての僕に言わせれば、文庫や新書やソフトカバーなんて本じゃないんだよ。
ただ紙に印刷して綴じただけの代物。中身はともかく、その形は工業製品そのものだ。
家のなかに本がありすぎて、物理的な面から自炊を余儀なくされている私だが、「裁断したくない本」っていうのは実際にある。
その理由は様々だけれど、裁断されたくないのなら、是非とも裁断を躊躇させる本を世に出して欲しいと思う。