シンプルがベストとは限らない
物事はシンプルに考えることがベストだと思われがちだけど、実際の世の中はシンプルには出来ていない。
それでも人間の頭というのは複雑なものはなかなか理解できないので、実際には複雑なものを単純なものに置き換えたがる悪い癖がある。
世の中では、特に政治というのは最も複雑怪奇なもので、一見すると常人にはなかなか理解しがたい。
一つの課題を解決素要とすると、別の問題がいくつも出てくるのが常である。
複雑な利害関係が絡むから、たいていの場合はどこかで妥協せざるを得ず、各所に不満が残ることも多い。
ブラックボックスのような状態でいかにも複雑だから、多くの人は最初から問題の理解に尻込みしてしまう。
複雑が故に政治の世界はいつでもどろどろして見え、それが腐敗の温床と見なされる。
そんなときに単純な理屈ですぱっとものを語る政治家が現れると、心惹かれるものがある。
そう言う人物に「複雑は悪だ」と言われれば、「確かにそうだ」と思う人も多いだろう。そしてそう言う人物が唱える政治の仕組みというのはたいていの場合は非常に単純で、昔なら「国家主義」「全体主義」「共産主義」と言われるものだった。
相反する主義に聞こえるかもしれないけれど、実際には似たようなもので、「国家が社会を統制する」という点においては共通する。
対して、今われわれがいる国はある程度国家によって規制するけれども、それ以外の部分は「神の見えざる手」に任せるという方針をとっている。
「神の見えざる手」に任せるというルールそのものは単純だが、実際に起こる現象はとても単純とは言えないのが現状で、そのわかりにくさを嫌う人が多い。
「単純明快」というのは非常に理解しやすいが、物事を「善」「悪」に単純に二分化できないことから考えても、それは危険な思想なのである。
予算審議の時期になると良く聞くのが国家予算についてであるが、これを家計に例えるということが未だに罷り通っている。
「月収37万円しかないのに毎月サラ金から40万円借りている」等と言われる。
一見わかりやすいが、実は前提条件が大間違いで、この家庭の資産のことに全くふれていない。しかも、実際にはサラ金からではなく、この家庭の家族が家計とは別立てでそれぞれが持っているお金を家計に貸し付けているという事実も忘れられている。
しかも実際には一般会計ではなく、特別会計もあるのにたいていのたとえではふれていない。
たとえ話というのは話者の主張に都合の良いように例えているから、実は物事を真に理解する上ではほとんど参考にならないのだ。
何かの仕組みにせよ、何かのたとえ話にせよ、シンプルであると言うことは非常にくせ者なのだと言うことを念頭に置いておきたい。
色々な考えを持つ人が多い中、単純な理屈が通ることなどないに等しい。
シンプルな考え方というのは「原理主義」という言葉に置き換えられるかもしれない。
主義・主張は非常に分かり易いが、他者の考えを受け入れず、異端のものとしてすべて排除しようとする危険思想だ。
世の中とは、多くの人の持つ多くの考えの妥協の産物だ。
そんなものが単純なはずはなく、単純化しようにも限界がある。
一見単純に見えるものにはたいていの場合は裏がある。
複雑なものは、複雑なまま理解するほか無いのだ。
余談だが、池上彰氏の解説は必ずしも「単純化」しているとは言えない。
複雑な問題を細かな問題に切り分けて、順を追って飛ばさずに解説するから分かり易いのだ。