純粋ビール批判
「美味しんぼ」は父親が買いそろえていたので、山岡・栗田ご両人が結婚するくらいまでは読んでいた。
割と影響を受けていて、食べ物についての色々な知識はこのマンガに依るところが大きい。
若い頃の僕がヱビスビールを選んでいたのも、おそらくこのマンガの影響である。
ビール党を名乗るようになってから数年たつのだけれど、今思い返すと果たして美味しんぼで得た知識が正しかったのかという疑問がわいた。
「美味しんぼ」において、僕の記憶にあるビールの話は2話ある。
16巻所収の「五十年目の味覚」と18巻所収の「ドライビールの秘密」である。
疑問が正しいかどうか、久々に再読してみた。
あらすじはこうだ。
「五十年目の味覚」
銀座のビアホールで山岡一行とたまたま相席になった老夫婦は金婚式の記念で、しかも夫は50年ぶりに大好きだったビールとソーセージを解禁するのだという。半世紀ぶりのビールとソーセージはさぞかしうまいだろうと期待をこめたが、口にした老人は「これは本当にビールなんでしょうか」という。ソーセージも同様。失望の老人の言葉の意味に気付いた山岡は、老夫婦に本当のビールとソーセージをご馳走するために奔走する。
「ドライビールの秘密」
これは特にストーリーらしいストーリーはない。早い話、ドライビールと愛好者、それを発売するメーカーを徹底的にこき下ろした物。
前者に関しては、僕は特に異論は無い。老人が50年前にドイツで口にしていたビールとソーセージと同じ物を、日本で揃えて老人に振る舞っただけの話。ここで紹介されていたのは副原料を使っていないヱビスビールと仙台のレストランで作った豚肉と塩だけを使ったソーセージだった。
ビール純粋令で有名なドイツでは、特に戦前とあっては、現代の日本のように副原料を使ったビールなどほとんど造られていないだろうし、化学的な添加物を含んだソーセージも作られていないだろうから、山岡のやったことは当然と言える。
問題は後者だ。
最初に断っておきたいのは、僕はアサヒのスーパードライなどのドライビールは大嫌いだが、これらは間違いなくビールであるということだ。
このエピソードはドライビールの生産者だけでなく愛好者についてまで徹底した罵詈雑言に満ちているというのが大変珍しい。美味しんぼで一般庶民をここまで馬鹿にしたものは記憶にない。
栗田さんの企画でドライビールについて探るところがこのエピソードのきっかけである。
ドライ党だという京極氏や板山社長を集めてビールの試飲会を行うのだが、まずこれがフェアじゃない。
最初に麦芽100%のエビスなどのビールを飲ませて、その次にドライビールを飲ませたのだ。
板山社長曰わく「私はドライ党のはずなんだよ、この味は気に入っていたはずなのに・・・・」
京極氏曰わく「おいおい、ドライちゅうんは味がないいうことなんか?」
この後皆にスプーンを舌にあてさせ「これがドライビールの味だ」と話は運ぶ。
ボディのしっかりした酒の後にライトボディの酒を飲ませたら、ビールに限らず後者が拍子抜けするのは当たり前だろう。
実際、僕自身きついビールの後に軽めのビールを飲むとまるで水のように感じるのだ。
だからといって、後に飲んだビールがまずい物だと言うことにはならない。
まずいのは飲む順番だ。
後編では、東西新聞の面々がビール各社のお客様窓口に電話をしてドライビールについて聞いている。
原料などは各社しっかりと教えてくれるのだが、その比率などについては企業秘密ということで開示されない。
山岡はビールの作り方のあらましを説明する。その上で副原料について次のように語っている。
「正統的なビールは麦芽とホップしか使いません。だが、大麦だけを使うより原価が安いのと、味が軽くなるという理由で、米、コーン、スターチなどを使うんだ。」
「ドライビールの説明は各社まちまちだが、共通している点が二つある。一つは発酵度の高い酵母を使うこと。もう一つは、コーンやスターチなどの補助デンプンを使っていること。」
発酵度の高い酵母を使えば麦汁中に含まれる糖分が通常より多くアルコールに変わり、結果として辛口になる。ホップの苦みを支えるボディがないから舌に明確な味の像を結ばず、スプーンをなめたときに似た味がする、ということらしい。
コクを形作るアミノ酸やペプチドが少ないのは、麦を少ししか使わないからだそうだ。麦芽を少なくしてその分米やコーンを使っているとのこと。ただし、その真実は企業秘密で開示されない。
山岡「ICの技術や、自動車のエンジン技術なんかなら、いくらでも企業秘密でかくせばいいさ! だけど、消費者の健康にかかわる食品については、企業秘密なんか認めるわけにはいかないよ!」
山岡は、ドライビールが飲みやすいことについて、しっかりしたボディを楽しむ体力が無いと非難している。「酒なんてどうせ嗜好品なんだからどんな酒を飲もうとその人の勝手だよ。でも”ビール”というからには、ビールであるべきだよ。」とも言っている。
今の僕から見るとかなりツッコミどころ満載の話だ。
まず企業秘密についてだが、ビールについては面白いことが言える。
実際に山岡氏が大嫌いなドライビールの原材料を見てみよう。
「麦芽、ホップ、米、コーン、スターチ」
ほかの食品にあるような添加物が一切見あたらない。
企業秘密なのは酵母の働きと各原料の比率であって、原料そのものではない。
例えば老舗と言われる店が、秘伝のたれの調合を明かすだろうか。飲食店なら原料の表示義務すらないのだ。
その点ビールは法に基づいてしっかり開示している。
現代の大量生産の食品の中で、合成保存料や着色料、その他謎のカタカナの物質が含まれていないのは、むしろ良心的な食品ではないだろうか。
山岡は「ビールと言うからにはビールであるべきだ」と言うけれど、それではそもそも「ビール」とは何なのだろうか。残念ながら美味しんぼの作中では明示されていない。
美味しんぼの2作品でで扱われたビールはどちらもラガービールでしかない。それもピルスナー限定だ。
この他の種類については「イギリスにはよく似た味のペールエールっていうのがありますけどね」とドライと同列に並べて触れた程度。
山岡、というか原作者が言いたいのは、米やコーンスターチなどの副原料が諸悪の根源だ、といことなのが作品全体からよく分かる。副原料を使うのはまがい物のビールだ、ということらしい。
ビールの生産国としてはドイツ以外にベルギーがよく知られていて、トラピストビールやアビィビールなどの伝統的なビールが有名だが、これらは日本に輸入すると酒税法上の扱いがほとんどが「ビール」ではなく「発泡酒」となる。
それは、日本の酒税法がビールの原料として「麦、ホップ、米、トウモロコシ、コウリャン、馬鈴薯、でんぷん、糖類またはカラメル」以外を認めていないからだ。
つまり、発泡酒扱いのベルギーの伝統あるビールには上記以外の、美味しんぼの原作者が目の敵にする副原料が含まれているのである。
ビール純粋令に則ったビールというのは酒席のうんちくとしては面白いかもしれないけれど、実際にはビールはもっと沢山の種類がある。
麦芽100%のビール以外はまがいものだという美味しんぼ原作者の主張はあまりにも視野狭窄だ。
ボディのしっかりしたビールが好きだという人もいれば、軽くて口当たりの良い物が好きだという人もいる。
世界では、色々な製法や副原料を使うことによって個性的な味のするビールが沢山ある。
変に杓子定規になって、自分の舌を信じないのはつまらないことだ。