吹き替えと字幕と翻訳などなど
あの「アルフ」に新作報道 早くも「所ジョージ吹き替え」願う声が
80年代の米人気ファミリードラマ「アルフ」のリブート版が米ワーナー・ブラザース・テレビジョンによって進められている。米ハリウッド・リポーターなどが報じている。
日本でも放送され、アルフの吹き替えを所ジョージさんが演じるなど人気がある作品で、ツイッター利用者からも反応があがっている。
吹き替えは所ジョージさん一択?
「アルフ」は、カリフォルニア州郊外に住むタナー家に居候する、毛むくじゃらの宇宙人アルフが繰り広げる騒動を描いたコメディ作品。96年にはスペシャル版「アルフ ファイナル・スペシャル」が制作された。日本では1989年から95年までNHKで放送。ファイナル・スペシャルは2010年になってから放送された。
日本語吹き替えはアルフをタレントの所ジョージさん、タナー家の主であるウィリー・タナーをコメディアンで俳優の小松政夫さんが担当した。
報道によると、アルフが新たな家族の家に転がり込む話とのこと。また、オリジナルで制作総指揮を務めたトム・パチェットさんとポール・フスコさんも参加予定だという。
プロジェクトは18年5月から始まっているというが、まだ初期段階。
このことは日本でも映画専門情報サイト「シネマトゥデイ」などが伝えているため、ツイッター利用者から「アルフ おかえりなさーい」など好意的な反応が寄せられた。
放送予定などの具体的な情報はないが、早くも吹き替えに対して、
「ぜひ吹き替えは所さんで!」
「もちろん所ジョージだろうね?!」
「吹き替えは絶対所さんで!!」
など、以前と同じく所さんを希望する声があがった。所さん起用の可能性は…?
所さんは、日本のレギュラー放送が終わった95年以降アルフと疎遠であったわけではない。09年には、小松さんと共に公開アフレコを行ったほか、10年に日本で初放送されたファイナル・スペシャルにおいても、吹き替えを務めている。そのため、リブート版が日本で放送される場合、所さんが起用される可能性はあり得る。また、新ストーリーとなることに対し、「リブートとか言わず、素直にあのままの続編を作ってくれ」といったタナー家を舞台にした物語を希望する声も見られた。
米TVLineによると、現在、脚本家を探しているという。
これ、楽しみだなぁ。
NHKでよく見ていて、DVDも買ってしまった。
所ジョージの吹き替えは、なんとなくやる気の無い棒読みな感じが作品と合っていて良かったんだよ。相手が小松政夫というのも、掛け合いが楽しめた。
僕は元々は字幕派なのだ。
でも実のところ、吹き替えも好きだったりする。
刑事コロンボは小池朝雄の吹き替えで育ったので、ピーター・フォークのダミ声はどうしても違和感がある。
吹き替えの世界の声優さんは、アニメの方ももちろんいるが、新劇の俳優さんが多い印象。
新劇の場合、脚本はもちろん外国語からの翻訳なので、ある意味では適任なのかもしれない。
日本語と外国語は言語体系はもちろん、文化も違うので、翻訳はどうしても不自然な物になる。
吹き替えの不自然さというのは、外国人が日本語で外国の内容を話しているから。吹き替えのセリフがわざとらしく大げさに聞こえるのは、吹き替え声優さんがわざと大げさに話していることもあるが、元々のセリフが日本的でないからこそ、と言う部分もある。
字幕だと気にならないのは、それが大げさなのかそうでないのかさっぱり分からないから。
字幕の場合は役者の声が聞こえるけれど、同じ画面の中で文字と役者の動きを同時に追うのは、実は結構難しい。
人間が1秒間に認識できる文字は2-4文字と言われているが、声の場合は明らかにそれ以上である。
元の情報から欠落が起こることは間違いない。
これは推測だが、「ソーシャルネットワーク」でのマーク・ザッカーバーグはとんでもなく早口なので、字幕での情報量は半減以下だと思われる。
よく戸田奈津子氏の誤訳というのが話題に上がるが、字幕は字数に制限があるし、使える文字にも制限があるので、やむを得ない部分も多い。
劇中の専門家などの言葉遣いは監修して貰うこともあるようだが、さりげなく出てくる部分では、見落としもあるようだ。字幕翻訳の専門家は字幕翻訳の専門家なのであって、他の分野の専門家ではないから、誤訳がでるは避けられない。
誤訳に関しては、形態が違うとは言え翻訳である以上、吹き替えも避けられない。
あるいは誤訳ではないが、日本人に理解出来ない表現を超訳するのは、字幕も吹き替えも同様だ。
吹き替えには、実は元には存在しないセリフの追加もあったりする。
公式がうるさいから最近の物ではあまりないようだが、古いテレビドラマなどでは、例えば広川太一郎などがとんでもないセリフを付け加えていたりするので、それも吹き替えの魅力であろう。
ダーティ・ハリーの吹き替えは山田康雄が有名だが、ローハイドの時代から観ていた年輩の人はそれで納得するのだとしても、ルパン三世のイメージで固まってしまっている僕などは、ダーティ・ハリーのクリント・イーストウッドがルパンに見えてしまう。
海外の映画やドラマは字幕版では作業しながら観るのは難しい。吹き替えであればとりあえず音は耳に入ってくるので、画面から少し目を逸らしても大きな問題にはなりにくい。
なので僕は最近では、何度も観ているようなものは吹き替え版で観ることが多い。
自分の大好きな物で劇場とソフトの両方で観る物、ホームズやスター・トレックや007などは、劇場では字幕で観てソフト化された時に吹き替えで観る。
Amazonプライムビデオなどで、気軽な感じで「ちょっと良いかも」程度で観る映画は、吹き替え版があればそちらを選択する。
最近では「キングスマン」は吹き替え版を観た後に字幕版を観ている。
それは何故かというと、物語からエグジーの話し方が絶対にかわっているはずだ、と思ったから。
英語のリスニング能力はほぼ無いけど、そういうことを意識して聞くとなんとなくだが違いは分かる。
後半でアーサーの裏切りが発覚するシーンでは、絶命する直前のアーサーは普段のクイーンズイングリッシュではなく、ロンドン下町なまりになっている。これは非常に分かり易い。
ヴァレンタインが話しているのは米語である。
007シリーズではショーン・コネリーはスコットランド訛り、ジョージ・レーゼンビーはオーストラリア訛り、そしてロジャー・ムーアはクイーンズイングリッシュだったり。
同一人物なのに顔も訛りも変わるのは、一流のスパイだからだろうか。
吹き替えでも字幕でもやや興ざめするのは、画面上にチラッと出てくる何かを、字幕が紹介するところ。行き先の標識などであれば問題ないが。
例えば、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の冒頭シーンでは、マーティがドクの家を訪ねた時、マーティのスケボーがアルミのケースにあたるのだが、そのケースに「プルトニウム」という紹介が出てしまう。あるいはドクがタイムマシンの実験を行うショッピングモールにマーティが入って行く時、「ツイン・パインズ・モール」という紹介がでる。
これらは多分英語圏の人はあまり気に留めず、あとで「伏線だったのか!」と気づくわけだが、吹き替えあるいは字幕の観客は最初から何か大事なことだと分かってしまうのである。
映画の吹き替えというと、以前はテレビの洋画劇場番組の為に制作されるのが普通だった。
古い人気作品の場合、放送するテレビ局ごとに吹き替え版が作られる。この為、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の吹き替え版は4種類以上ある。
ところが最近は地上波では洋画番組が減ってしまった。制作や配給側で吹き替え版を制作して劇場で字幕版と同時に公開されることも多くなり、テレビ放映やパッケージソフトでも、こう言った公式吹き替えが収録されることになったので、比較的最近の映画では複数の吹き替えが存在することがなくなってしまった。同じシーンが版毎にどう違うか見比べるような楽しみがなくなってしまい残念。
映画は二時間前後の物が多いが、洋画劇場番組は実質90分程度。と言うことはかなりカットしていると言うことになる。
最初にテレビで観て、後にパッケージソフトなどで完全版を見ると、「こんなシーンがあったっけ?」ということがあるのはこの為。
ソフトの中には「テレビ放送時の吹き替え収録」と言うのがあって、その場合テレビ放送時にカットされた部分の吹き替えはない。比較的古めのソフトだとその部分は字幕対応になるが、最近の物だとオリジナルの声優本人か、亡くなっている場合などは代役が補っている物がある。字幕で補っている物はカットの仕方が分かって大変面白い。3時間近い映画が半分くらいになっているのに、物語として成立しているのだから。
違う声優が代役している場合は、例えば小池朝雄のコロンボを石田太郎が埋めたように、声質がそっくりな人が担当していることがあり、大変興味深い。
本人が埋めている場合でも、当時と収録機材がかわっていることによる変化や、加齢などによる微妙な声質の変化を読み取って楽しむ人もいるようである。さすがに僕はそこまでは分からないが。
本当は、せめて英語の映画くらいは、元の版で観るのが良いのだろうが、吹き替え版も字幕版もそれぞれに魅力もあるものなのである。