クリスマスの訪問者 ―ワトスン先生の名推理―

 1889年の、暮れも押し迫ったクリスマスの翌々日のことである。診療が終わった後、わたしは友人シャーロック・ホームズを訪ねるために辻馬車でベーカー街へ向かった。
 先日、カルヴァートン・スミスの毒入り仕掛け箱事件で、今にも死にそうな探偵を演じて私まで見事にだましたホームズは、そのために三日三晩絶食したのであった。
 その回復の具合を診るのと、時候の挨拶のために、久しぶりにベーカー街の古巣を訪ねることにしたのだ。
 辻馬車をベーカー街221Bの前で降り、いつもの通り下宿の扉をノックすると、家主のハドスン夫人が応対した。
「まぁ、先生お久しぶりです。ホームズさんはすっかりよくなられまして。ええ、私もすっかりだまされて。ええ、ああいう方だから、いたしかたの無いことなのかもしれませんがねぇ、さすがのわたくしも、あの時はびっくりいたしました」
 あの事件でホームズはわたしはおろか、この人のよい女将までだましたのだから、たいした演技力である。ウエストエンドの演劇界は、よき人材を俳優にし損ねてしまったのだ。
「まったく、とんでもない下宿人ですな。ところで、そのホームズ君は今日はどうしておりますか」私が尋ねると、夫人は待ってましたとばかりに目をむきながら言った。
「それがですねぇ、先生。どうした風の吹き回しか、今朝から山積に散らかった事件の書類なんかを整理し始めたんですよ」それを聞いてわたしはびっくりした。
 かの友人は、身なりはきちんとしているにもかかわらず、部屋のこととなるといたって無頓着なのであった。マントルピースに返事をまだ書いていない手紙をジャックナイフで突き刺しておいたり、ペルシャ製のスリッパの中に煙草を入れておいたりするのである。あるときなど、バターの入れ物の中から事件の記録書類が出てきたくらいである。わたしもきれい好きとは言えないが、これにはたまりかねて抗議したほどである。
「珍しいことですね。槍でも降らなければいいんですが」そう言って私は古巣に通じる17段の階段を上り始めた。
 居間の扉の前に立って耳を済ますと、部屋の中からホームズの独り言が聞こえてきた。どうやら本当に書類の整理をしているようである。扉をノックすると、
「お入り、ワトスン」という声が聞こえた。中に入ると、友人は机に向かって書類の選別のようなことをして、私に背を向けたままであった。
「久しぶりだねえ、ワトスン。左手の鵞鳥はどうもありがとう。今夜一緒に食べようじゃないか。辻馬車で寒かったろう。まあ温まりたまえ」そう聞いてわたしは少しばかり面食らってしまった。わたしは声を発していないし、背を向けたままのホームズは私には一瞥もくれていないのに、持っているものまで当てたのだ。
「どうしてわかったんだい、ホームズ!」私がそう言うと、ホームズはこちらに向き直って言った。
「なあに、えらく初歩的なことだよ、ワトスン」
「ははあ、わかった! 机のところにでも鏡を隠し持っていたんだろう」わたしはそう言いながら自分の椅子に座った。するとホームズは座りなれた籐製の椅子に移って、桜材で出来たパイプに火をつけていった。
「いいや、この部屋にある鏡は、マントルピースの上にかけてあるものだけだよ」
「そうか、ではやはりこれは君一流の推理だな。いや、何も言わなくて結構。わたしが当てて見せよう」シャーロック・ホームズには今までもずいぶんやり込められてきたので、悔しい思いをしてきたのである。ここらへんで一つやり込めてみたかったのだ。
「まず第一に、なぜわたしだとわかったか。それは非常に簡単な問題だ。わたしと住んでいたときだって、君を訪ねてくるのは依頼人か警察関係者ぐらいのものだった。君は人付き合いが悪いからね。それに、ハドスン夫人の取次ぎなしでここまで上がってきた。ということは、依頼人ということは絶対にありえないね」
「なるほど、素晴らしい!」
「なぜ訪ねてきたのか。今はクリスマスシーズンだからね。クリスマスの挨拶に決まってるじゃないか。レストレイドなんかの警察関係者が事件の相談に訪ねてきたら、階段を急いで駆け上がってきただろうし、でなきゃ電報で現場まで君を呼び出すだろう。それに彼らがクリスマスの挨拶なんて洒落たことは出来ないと思うね。わたしには医者独特のヨードホルムの匂いなんかがしていたのかもしれない。だから訪ねて来たのは、わたししかありえないんだ」
「いや、素晴らしいよ。正直言って僕は君がこれほど出来のよい生徒だとは思わなかったよ」そう言われて私はまんざらでもなかった。
「ついでになぜ鵞鳥を持っているとわかったかもお聞かせ願いたいね!」
「それはもっと簡単なことだよ、ホームズ。さっきも言ったとおり、今はクリスマスシーズンだ。手土産といったらクリスマスにまつわるものだ」
「ほほう」
「君は去年の今ごろの事件を忘れたわけじゃあるまいね」
「もちろん覚えているさ。青いガーネットの指輪が鵞鳥の中から発見された事件だろう」
「その通り。わたしが話の種にこれを持ってくる可能性は大きいだろ?」
「ははは、一本とられたね。では左手に持っているというのは?」
「なあに、ここの扉の取っ手は右側についているからね。右手で開けたら、鵞鳥を持っているのは左手だろう」
「鋭い! では辻馬車に乗って来たというのは?」
「この寒い中、私が寒さから古傷の痛む左足をかばって辻馬車に乗ると推測したのだろう」
「いやはや、これほどまでとはね。君にここまでやられるとは僕も引退時だね」ホームズはタバコを詰め替えて、再び火をつけて続けた。
「だがね、いくらか細かい間違いがあるよ」
「ほほう、どんな点だい?」
「手の話なんだがね。君はいつも左手に荷物を持つんだ。たったそれだけのことだよ。それに扉の取っ手が右側についていたからといって、どっちの手で開けるかは実際のところあまり関係が無いんだ」
「それもそうかな。でもまあ細かい点だね。大筋では正解といえるじゃないか」私がそう言うと、ホームズはさも嘆かわしいように言った。
「実はねえ、ワトスン。君の推理にはもう一つ根本的な誤りがあるんだよ」ホームズの態度があまりにも憎憎しげなのでわたしは少々荒っぽく言ってやった。
「負け惜しみを言うもんじゃないよ、ホームズ。素直に君の敗北を認めたまえ」すると彼は突然笑い出して言った。
「ハハハハ、からかってすまんねえ、ワトスン。実はね、僕が窓際に立っていたら、辻馬車から君が左手に鵞鳥を持って降りてきたのが見えたんだよ」そう言うとホームズは、いっそう声高に笑い転げた。
終わり

探書手帳第30号 テーマ「クリスマス」によせて

1999/07/22 記

無學童子
ホームズ/ドイル私事

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