経済合理性
「一番大事なものは何?」と聞かれたらあなたはなんと答えるだろう。
人命?
お金?
家族?
僕にとって一番大事なのは「僕と僕に関わる人の」命である。
建前を捨てて本音で書けば、飢餓で死んでいる貧困国の子供の命など僕の知ったことではないし、死んでもなんとも思わない。
自分に関わって初めて認識できるのだ。
「自分にとって」ではなく「世界にとって一番大事なもの」は何かというと、少なくとも「人命」でないことだけは確かだ。
もし世界中の人が人命を大事だと考えているのなら、そろそろ戦争なんか撲滅されても良い頃だ。
こういったことを考える中で一つ考慮に入れなければならないのが、経済合理性である。
もしもあなたが巨大な自動車メーカーの最高経営責任者であったとする。
自社の生産した自動車100万台に、人命に関わる欠陥があった。
死者の発生確率は1万台に1人。
リコール費用は1台150ドル。
死者に対する損害賠償は1人平均100万ドル。
あなたは経営者としてどちらを選択するのが正しいか。
ただし、あなたの決定が今後の売り上げには全く影響のないものとする。
1.リコール発表して全て修理する
2.欠陥を公表せずに放置する
この設問において正しい答えは2である。
理由は、損失がが少ないからだ。
この条件では死者は100人であり、損害総額は1億ドルである。
リコールを行った場合にかかる費用は1億5千万ドルである。
本当の自動車会社があまりこういったことを行わなくなったのは、この設問の仮定にある「あなたの決定が今後の売り上げには全く影響のないものとする」というのは本来あり得ないからだ。
現実としては重大な欠陥を公表せずに放置した場合、公にならなければ問題ないが、公になったときに自動車会社にとっては存続に関わる致命傷になりかねない。
ただし、その仮定の部分がどうあれ、自動車会社にとっての判断基準はお金でしかないのだ。
「安全重視」といううたい文句は、別に人命が大事だからという理由ではなく、人命が大事だと考えている人に自社の製品を買って貰いたいからである。
安全性軽視の製品でもバンバン売れるのなら、あえてコストのかかることなんかしないのが企業の正しい選択だ。
経済合理性のない行動を取る企業や自治体・国家は必ず崩壊する。
逆に、経済合理性があるものであれば、戦争でも人殺しでも肯定できる。
勘違いしてはいけないのは、経済合理性とは目先の利潤の追求ではないと言うことだ。
詐欺まがいの行為で大儲けしたところで、それは長期に続くものではない。
そこに経済合理性はない。
大儲けではないにしろ、事業が長期的に確実に存続できることが重要だ。
環境問題、携帯電話の車内マナーの問題、あるいは憲法問題でも、少なくとも多くの人が関わることにおいては、経済的に合理性があるかどうかで判断するのが、今のところもっとも間違いがないだろう。
天変地異なんかが起こって地球環境や人々の考えが大きく変わらないうちは。