翻訳書の森を旅する
シャーロッキアンだけに、読書する上で、翻訳に関して意識するところが大きい。
世の中、沢山の本が出ているけれども、複数の翻訳が出るのは、古典、しかも売れるものに限る。
シャーロック・ホームズものは、現在少なくとも三種類の文庫全集が手に入り、完訳でないもの、子供向けのものを含めれば、明治時代からの蓄積は、それこそ星の数ほどの種類がある。
私のようなシャーロッキアンにとって、これらの翻訳を比較することもまた楽しみの一つである。
翻訳者の日本語の使い方ひとつで、ワトスンとホームズの人間関係に微妙な差が出てくる。
「おい、ワトスン、一大事だ」
「ねぇ、ワトスン君、大変なことが起こったよ」
具体的にこんな部分があるわけではないが、私の言わんとすることはこれだけでもお分かりいただけると思う。
翻訳者の能力や考え方次第で、どんな名作も台無しに出来る(逆は無い)のだ。
鴻巣友季子『明治大正 翻訳ワンダーランド』(新潮社 新潮新書)
シャーロッキアンの世界で翻訳というと、誤訳だの解釈が違うだのと否定的な話が多い。個人的には「研究」でも「習作」でも、「署名」でも「サイン」でもどうでも良いと思っている。
そもそも翻訳は異なる言語同士でのぶつかり合いなわけだから、誤訳や解釈の違いは生じて当然なはずだ。
もちろん、そうだからといって誤訳をして良いというつもりは無いけれど。
とにかく、「翻訳」の本というのは、誤訳にまつわる不毛な話が多い。
この本は、明治大正の、黎明期の翻訳について、非常に興味深く取り上げている。森田思軒の『探偵ユーベル』翻訳における、一字入魂の苦心の訳、原書に無い冒険活劇が展開する黒岩涙香の『鉄仮面』、『小公子』の題名命名秘話、世界的には実はそれほど有名でもない『フランダースの犬』、など。
同業者から見た、草創期の翻訳家たちの活躍について、生き生きと触れられており、読んでいて非常に楽しい本だった。もちろん新書ということで、掘り下げはぜんぜん足りないけれど、素人にはさくっと読めるこの程度の分量が、この世界への導入としてはちょうど良い。
☆☆☆★★