ケータイを捨て街に出よう
昔、寺山修二が「書を捨てて街へ出よう」(うろ覚えかつ未確認)なんていってた。ガロとかでも特集やってたな。
さしあたって、今私が言いたいのは、「ケータイを捨て街に出よう」。
いや、別にね、高尚な事を言うつもりはなくて。。。
現代はみんな連絡つきすぎ。ケータイって言うのは、コミュニケーションのツールな訳だけれど、それが円滑に進みすぎて、濃さが希薄になっている気がする。
待ち合わせひとつにしたって、漠然とした時間と漠然とした場所を指定しておくだけで、大体その時間に、大体その場所に行って、相手と電話して落ち合う。
ケータイがなければ不可能だ。
昔なら、正確な時間と場所をあらかじめ打ち合わせておかないと、きちんと出会うことが出来なかった。
だから、その打ち合わせは結構真剣だった。あいまいな点を残すと、約束が成立しなくなるからだ。
ケータイメールを頻繁にやり取りしているが、手紙と比較してどうだろうか。大量に、即時にやり取りできる分、文章の吟味をすることがほとんどなくなっている。
いい加減なコミュニケーションでも成立するわけだから、いい時代になったと思うが、その分言葉の重みがなくなった。
ケータイを持たずに街に出てみよう。
簡単にコミュニケーションが取れないもどかしさが身にしみてわかるはずだ。
そして、100%自分だけの時間というものが存在したことがわかるのだ。