新聞
僕のところも新聞を取らなくなって久しい。
ただ、それは新聞を読む時間がとれなくなっていると言うだけで、決して新聞が不要なものだと思っているわけではない。
この結果ではなはだ疑問なのは、半分以上の人が「新聞記事を理解するのは難しい」と答えている点だ。
英字新聞でも読んでいるのだろうか?
それなら話はわかる。
日本語で書いてある新聞の記事を、これだけの人が難しいと感じているならば、読者か記者か、その両方に問題があると言うことだ。
あるいは、その記事に書いてある事象そのものが、難しいと言うことである。
記者の腕の見せ所というのは、スクープを追いかけることもそうかもしれないが、ある事象をわかりやすく伝えることもその一つだと思う。
だとすれば、難しいと読者に感じさせてしまった時点で、その記者の敗北である。
また、読者の心構えも問題だ。
新聞記事は、一つだけ抜き出してわかるものではない。
毎日毎日、長期間にわたって読むことで、世の中の流れというものがわかる。
今日の記事は、昨日の記事の続きなのだ。
だから、わからないと思っても、根気よく新聞を読み続けることが大事なのだ。
新聞の利点のもっともたるところは、一日の情報がコンパクトにまとまっている点である。
インターネットのニュースサイトの場合、古い記事はどんどんトップページからはじき出され、アクセする時間によっては、全く目に触れない記事が出てしまう。
また、見出しが並んでいて、興味を引かれたものだけを読んでいくことになるから、必然的に取得できる情報が偏ってしまう。
新聞の場合、興味のない見出しでも、となりの記事を読んでいると必然的にその記事も目に入るから、実のところ認識できる情報はかなり多い。
テレビのニュースの場合、一方的に垂れ流されるため、能動的な情報取得とならないから、記憶に残らないものが多い。
「身になる」という意味では、受動的なテレビよりも、能動的に情報を取得する新聞やネットの方に分があると思う。