あれから3年

あれから3年の月日がたった。

J-WAVE主催の調査によると、かなりの割合の人が「東日本大震災への意識や関心は「風化」している」と感じているようだ。
たしかに、話題に上ることは少なくなった。
そう言う観点から見れば、風化していると言えないこともない。
昨年のエントリーでも書いたが、僕は意識せざるところで「何かが変わった」と思う。
直接的に被害を受けなかった西の方の人は別にして、少なくとも首都圏の人は強烈に影響を受けたはずだ。
帰宅難民になったり計画停電を食らったり。
その結果どうなっただろうか?
今でも、建物内などで照明の間引きは普通に見られるし人感センサーも増えてきた。
「節電」という言葉は震災の前とあとでは意味が変わったが、変わったということが当たり前になって、何も感じなくなった。

未だに仮設住宅に暮らしていたり、自主避難している人たちが解消されていないという現実は、広く報道されているとは言い難いし、阪神淡路大震災に比べると悲惨さは長期化して一段上のように感じる。

とはいえ、「風化」という言葉にはいささかの違和感を覚える。
間接的被害者と言える僕らは、直接的被災者のことを思い浮かべる機会は減ったとは言え、少なくとも震災の前とあとで、考え方が大きく変わった。
考えが変わったかどうか意識していなくとも、「当たり前」と思っていた基準はほとんどの人で大きく動いていると感じる。

僕は間違いなく、この震災で「パラダイムシフト」が起こったと思う。
実際にこの時代を生きているわれわれのほとんどは意識していなくとも、後世に振り返ればこの時期に間違いなく防災意識の転換が起こっていると認定されるだろう。

人間とは忘却の生き物だ。
悲惨な出来事は、記憶からひっそりと消える方が良いに決まっている。
同時に、その教訓は生かされるべきだ。
悲しみは忘れ教訓は永遠の物としたい。
そう言う意味で、「風化」という言葉をネガティブな物としてとらえる風潮には、断固として異を唱えたい。

無學童子
時事東日本大震災

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