ウォルト・ディズニーの約束
ディズニーランドなんかにはそこそこ行く割に、特にディズニー映画なんて好きではなかったりする。
とはいえ全く観ないわけではなくて、「不思議の国のアリス」や「オリビアちゃんの大冒険」は観たし、大嫌いというわけでもない。
ディズニー映画というと、特に最近は民話などの昔話がベースになっていることがほとんど。
これはなぜかというと、伝承というのは次第に角が取れて、話が非常に扱いやすくなっているからなのだと僕は勝手に思っている。
だから、「ザ・ディズニー映画」というのが出来やすいわけだ。
ところが、原作物の場合はこうはいかない。
原作者の個性というか「毒」という物は必ず残ってしまう。ディズニーが必死に毒抜きをしても。
「アリス」のルイス・キャロルが相当な変わり者であることは、「不思議の国」「鏡の国」のどちらを読んでも感じることが出来る。
そのストーリーをなぞっただけで、やはりキャロルの毒が出てしまう。
A・A・ミルンの「プーさん」もしかり。
ディズニーは毒気のない純粋な子ども向けファンタジーを指向しているように見えるが、原作物ではそれは難しい。
ディズニー映画の中でも「メリー・ポピンズ」は特に異彩を放っている。
原作の「メアリー・ポピンズ」を読んだことのある人には分かるはずだが、ジュリー・アンドリュースが演じる「メリー・ポピンズ」とは全くの別物である。
原作では非常に厳格で裏表のないナニーなのだが、映画版では非常に愉快なキャラクターとなっている。
そうであるにもかかわらず、ディズニーの他の作品に比べて「毒気を抜く」変更はあまりなく、原作者の毒気のたっぷり残った、ディズニー映画としても一風かわった物となっている。
変わり者で頑固者だという原作者のP.L.トラヴァースがなぜウォルト・ディズニーのオファーを承諾したのか、そしてなぜディズニーが20年近くしつこくオファーを出し続けたのか、どちらも知るものとしては非常に不思議だった。
トラヴァースが交渉の席に着いたのは「経済的困窮」が最大の理由なのだろうけど、それでも最後に契約書にサインをさせるまでディズニー側は相当な譲歩と骨折りがあったはずだし、トラヴァース側にもかなりの心境の変化があったはずだ。
この映画は、その交渉の過程を追いつつ、トラヴァースの幼少時代を同時に描き、なぜ交渉が妥結に至ったかを物語っている。
ネタばらしになるので書かないが、フィクションとは言え、非常に興味深くそして納得のいく物だった。
最大の見所は、P.L.トラヴァース演じるエマ・トンプソンだろう。
トラヴァースは非常に多面的でかなり複雑な人格なのだが、それをきっちりと演じている。
こういう役者はそうそういないとおもう。
トム・ハンクスもさすがの役者。ウォルト・ディズニーという人は映像に沢山残っており、多くの人が知っている人物だが、トム・ハンクスは全く似ていない。
全く似ていないのに、映画の中では「まさしくウォルト」と思えるから不思議だ。
この映画はディズニーの制作だから当然ディズニー側にかなり偏った解釈だとは思うけれど、映画本編にも描かれたが、トラヴァースと制作陣側との会話がほとんどテープで残っているから、ここに描かれたことはそれなりに真実に近いのではないかと思ってしまう。
(ちなみに、テープの一部分はエンディングロールの中で一部紹介された。トラヴァースからは、笑っちゃうほど細かな指示が飛んでいる。)
この映画を観た後に観る「メリー・ポピンズ」は泣けてくる。
☆☆☆☆★
☆が一つマイナスなのは、過去に自分が下した本編の評価以上にしないため。
諸事情により家を追い出されて、暇つぶしに観た映画だったが、これはかなりの掘り出し物だった。
しかも会社の労組の福利厚生サービスで割引価格だったし。
画像引用元 映画.com