スマートフォンを使いはじめて思うこと

米国の社会学者エベレット・M・ロジャーズによれば、物事が普及する段階は5つのカテゴリに分類できるという。

■イノベーター(革新的採用者)
冒険的で、最初にイノベーションを採用する
■アーリーアダプター(初期採用者)
自ら情報を集め、判断を行う。多数採用者から尊敬を受ける
■アーリーマジョリティ(初期多数採用者)
比較的慎重で、初期採用者に相談するなどして追随的な採用行動を行う
■レイトマジョリティ(後期多数採用者)
うたぐり深く、世の中の普及状況を見て模倣的に採用する
■ラガード(採用遅滞者)
最も保守的・伝統的で、最後に採用する

僕自身は、イノベーターだったことはないと思う。
PCはWindows以前の時代だからアーリーアダプターだろうし、携帯電話はアリーマジョリティだろう。
電子書籍はSonyReaderを発売早々買っているが、これは日本ではアーリーアダプターといえる。イノベーターはたぶん米国版のKindleを買ったか、あるいはデータディスクマンから買っている強者かもしれない。

さて、スマートフォンでは僕の立ち位置はどうだろうか?
今年の7月に購入だから早いとは思えないが、普及の度合いから見ればアーリーマジョリティといったところか。
もっとも、僕がそれまでスマートフォンに手を出さなかったのはモバイルSuicaの対応を待っていたからで、事実購入したのはAndroid版モバイルSuicaのリリース日であった。
それらの制約がなければおそらく昨年にはかっていたと思う。

XPERIA Acroを3ヶ月以上使って思うのは、これは携帯電話ではない、ということだ。
スマートフォンについて説明するときに、「携帯電話にPCの機能をつけたもの」という人がいるけれどそれは違う。
正確には「PCに通話機能をつけたもの」だ。
PCと既存の携帯電話の違いは、自由にソフトをインストールできるかできないかだ。

従来の日本のフィーチャーフォンは、通話機能が阻害されるようなものは排除されている。
だからフリーズなんてほとんどなかったけれど、スマートフォンの場合はフリーズや暴走は度々。
そういう意味では、スマートフォンは決して信頼できる機械ではない。

そういえば新聞などではスマートフォンの説明として「高機能携帯電話」とすることが多いが、これも違和感がある。
日本に限って言えばフィーチャーフォンの方が、ハードウェアとしては高機能なのではないだろうか。

誤解を恐れずに言えば、スマートフォンはPCである。
それはリンゴマークの製品も同じ。
Tabletも同様だ。

Androidの携帯電話を手にして感じたのは、すべての電化製品の行き着く先がここなのでは、ということだ。
PCはもちろん、スマートフォンもタブレットもカーナビも電子書籍リーダも、そしてテレビや白物家電でさえ、進化の行き着く先は同じなのでは、という気がしてきた。

Androidの携帯電話でおもしろいなと思ったことは、基本的にデータが一元管理されていることだ。
たとえば電話帳とかアドレス帳と呼ばれるデータ。
PCならソフトウェアごとにそれぞれアドレス帳があって、どこかのデータを更新したからと言って事実上同じデータである別のアプリケーションのデータが更新されることはない。
Androidの場合、アプリケーションは同じアドレス帳を参照する。
そのデータはクラウドに保存でき、違う携帯電話からも同じデータを参照できる。
事実、携帯電話ではないが、僕はAndoroid搭載のTablet端末で、携帯電話とデータを共有している。

アドレス帳に限らず、あらゆる「自分のデータ」にいろいろなデバイスからシームレスにアクセスできれば便利なことこの上ない。
クラウドがもてはやされる一つの要因がそこにある。

だとすると、究極的にはあらゆる家電から同じデータにアクセスできれば便利だ。

現在では、あらゆる電化製品はPC的だ。
基本的には、ソフトウェアがハードウェアを制御している。
テレビやレコーダが典型的だろう。
「ファームウェアの更新」などというメニューが露骨にあるのだ。

ということはそこには演算処理装置がありOSがある。
この開発費は馬鹿にならないが、Androidは無料で自由度が高いと言うことでじわりと広がりつつあるようだ。

あらゆる機器がネットワークでつながり同様のOSが採用されれば、iPhoneのCMでやっているようなものよりももっとすごいシームレスな世界がやってくる。
家に置いてあるレコーダで録画したものをネットワーク経由で携帯電話で見る程度のことは、すぐに出来るだろう。
今でも外出先からTV番組の録画予約くらいならできるが、きっと室温の調節をしたり照明のスイッチを入れたり、数千冊の自分の蔵書にアクセスできるようになるんだろう。
通信の保護やプライバシー保護が問題になってくるだろうが。

話は変わるが、ガラケーと言われる部類のものはいずれ無くなるだろう。
それは今我々が思うスマートフォン的なものに入れ替わるのでは無くて、OSにAndroidを採用して今までのフィーチャーフォンと同じインターフェイスを採用したものに切り替わると言うこと。
Androidであることを全く意識させずに。

そうやってAndroidはいつの間にか我々の身の回りの家電の中にいつの間にか入っているのだろう。
それこそ、洗濯機や電子レンジ、冷蔵庫やエアコンにまで入って、我々の生活を今よりもずっと豊かにしてくれるに違いない。

無學童子
PC・インターネット

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です